特集2「コント食堂二周年記念!スタンプラリー独占取材」

コント食堂の一期メンバー・スタンプラリーの、これまで語られることのなかった真実に迫ります。(取材日:2014年8月某日 聞き手:ししどっち)


~生い立ち(井口編)~

 

ーお二人の生い立ちを教えて下さい。

 

井口(以下、井)「幼少時代は全然目立ちたがりではなくて、喋らない大人しい子でした。」

 

ー意外ですね!今はライブでグイグイ出ていくのに。いつキャラが変わったんですか?

 

井「いくつか段階を経ていて、全部自分で変わりたいと思って変えました。このままじゃもったいないと思って。最初は小五の時、友達と漫才コンビを組みました。その時は相方の方が真剣で、ネタも相方が作っていたので、自分はついて行ってただけなんですけど。でもネタを作るだけじゃなく、校内でゲリラ的にネタを披露していたので、楽しかったです。あとは小五と小六の二年間、演劇クラブにも所属していました。それからはとにかくふざけることしか考えてなかったですね。」

 

ーなるほど。ネタを作るようになったのは?

 

井「ネタというか自己満足なんですけど、小六の頃から今でいう『シュールなこと』を授業中に書いていました。たとえば高校の日直の時に回ってくる日誌に、『いま後ろを○○が通った。殺されるかと思った』と書いてみたり。それが楽しくて、日直が回ってくるのが毎回楽しみでした。」

 

ーみんなが真面目に書く日誌に、一人だけふざけたことを書いていたんですね(笑)。先生に怒られたりはしなかったんですか?

 

井「高三の時、前年の担任の先生の授業中に日誌を書いていたら、先生に『今日井口が日直なんだ。じゃああとで日誌読もう』と言われました。誰も読んでないだろうと思っていたので、嬉しかったですね。」

 

ー認めてくれる人がいると俄然やる気が出ますよね。初めて自分の作品を世に出したのはいつですか?

 

井「高三の文化祭で、自分の呼びかけで同級生数人とコントの映像作品を作ったのが最初です。15編くらいのオムニバスで。」

 

ー初めてリーダーシップをとったんですね。ちなみにライブじゃなく、映像だったのはなぜですか?

 

井「カメラの撮り方、編集の仕方で面白さを伝えたかったんです。演出も編集も自分でやりました。文化祭で発表してみて、音声が伝わりづらい箇所もありましたが、伝わった部分はウケていました。友人達に面白いと言ってもらえましたね。」

 

ーライブ・文章・映像という、笑いの様々な魅せ方を学んだ、充実した青春時代でしたね。


~生い立ち(山本編)~

 

山本(以下、山)「僕はすごく明るい子でしたね。クラスの超人気者で、いつも問題を起こして先生に呼び出されていました。」

 

ーアイドル?それともガキ大将?

 

山「両方ですね。意味もなく友達を殴ったり。僕なりの愛情表現だったんですけど。あと知らない道を歩くのが好きで、『この道はどこに続いているんだろう?』と考えていたせいで、よく迷子になっていました。他人の家にも勝手に入っていましたし。ある日、僕がびしょ濡れになって帰宅したことがあって、母が不審に思って僕の足跡を辿ったら、近所の家の池に続いてたらしいです。池から這い出てきた跡があって。」

 

ー死ななくてよかったですね。ちなみに故郷の江田島(広島県)はどんな町でしたか?

 

山「町民のだいたいが顔見知りでした。高二の時の彼女がうちに遊びに来て、帰りに父が車で彼女を送ってくれることになったんです。ただ彼女が町民である事を父に知られたくなかったので、本土から来た事にして港に送ってもらおうとしたら、父の車が彼女の家の前で停まったっていう。」

 

ーお父さんにはお見通しだったんですね。

 

山「それぐらい狭い島なんです。高校卒業までその島で過ごしました。」

 

ーお笑いの道を志したのは?

 

山「もともとお笑いの番組が好きで、中二の時にクラスメイトとコンビを組んで休み時間にネタをやっていました。ただ相方がお笑いのセンスがなかったせいで、自分が書くネタが素晴らしく見えたんです。『これイケるぞ』って。人を笑わせる楽しさも知って、そこからは全部芸人になるための人生設計をし始めましたね。自分は将来芸人になると信じていました。」

 

ー高校卒業後に短大に行ったのはなぜ?

 

山「キャンパスライフをエンジョイしてみたかったからです。広島大学に行ける学力はあったんですけど、20歳になったら東京へ行こうと決めていたので、今まで接した事がないくらい頭の悪い奴らがいる短大に入学して、一年だけ遊んで辞めました。」

 

ーいろいろもったいない!

 

山本「親にすごく怒られました。『早く言え』って(笑)。」

 

ー今のフリーダムな生き様は、成人になるまでの伸び伸びとした環境下で形成されたものだったんですね…。


~養成所について~

 

ー二人が出逢うきっかけになった某養成所について教えて下さい。

 

山「詐欺のとこですね」

 

ー詐欺じゃないだろ!ちゃんと売れてる人がいるんだから!それぞれ養成所に入ったきっかけは?

 

井「大学で就職活動が始まる頃、たまたまネットで見つけた大喜利サイトに軽い気持ちで投稿したら入賞したんです。それが事務所が運営していたサイトで、入賞の特典が養成所の入所金免除だったので入所しました。それがなければ普通に就職することになっていたかもしれないので、その前にチャレンジしてよかったです。」

 

山「僕は芸人になるために20歳で上京したものの、最初の3年くらいは何もせずにゲームばかりしていました。仕事は派遣社員をやっていましたが、出世してデパートのテナントで店長を任されるまでになって。お金が貯まっちゃいました。当初芸人になるために養成所に入るという選択肢はありませんでしたが、僕もたまたま例の大喜利サイトを見つけて。入賞しなかったのに事務所から連絡があって、『一芸入試があるので受けてみないか』と誘われて。僕がやった一芸は、中腰になって両膝に手のひらを置いて閉じたり開いたりという動きでした。」

 

ーそれは芸なのか?

 

その動きを3分ぐらい黙って続けていたら、試験官に『もういいよ』と言われて。他の受験生がみんな作り込んだものをやっている中、よくこんなものを持ち込んだなと思わせたかったんです。そしたら一芸の後にあるはずの面接を免除してもらいました。面接免除です。面接免除を勝ち取ったんです。(←やけに強調)」

 

ー金銭の免除はなかったんですね。お金を貯めていてよかったですね。さて、二人は同じ時期に同じ養成所に入所するわけですが。

 

井「同期は100人以上いました。曜日ごとにコースがあって、僕達は火・木コースでした。」

 

山「僕の第一希望は月・水コースでしたが、人数が少なすぎて火・木コースに回されました。あのまま決行されていたら、独りで授業を受けさせられるところでした(苦笑)。」

 

ーピン芸人にならずに済んだんですね。お互いの第一印象は?

 

井「みんなから『店長』と呼ばれている人がいて。それが相方でした。」

 

ー入所してもまだ店長やってたんですか?

 

山「現役でしたよ。店長として週5で働きながら火・木に授業を受けて。もうネタなんて作ってる暇ないんです。シフト組んだりしなきゃいけないから。」

 

ー本末転倒じゃねーか!では山本君から見た井口君は?

 

山「普通の子がいるわーという感じでした。東京に普通の子がいると思わなかったので驚きました。」

 

井「養成所は個性的な人が多いですが、僕は普通の大学生でしたからね。唯一褒められたのが、前期の演技の授業のとき。喜怒哀楽を顔で表現するのですが、『無』の表情を絶賛されました。」

 

山「あれはすごかった。あの時の輝きったらなかったです。先生が授業を止めて『みんな井口を見ろ!』って。」

 

井「(笑)」

 

ー普通の子が一躍スターになったんですね。授業を一年間受けてみて、どうでしたか?

 

井「先生からの『一生懸命ふざけろ』という言葉が印象に残りました。今でも活かされています。」

 

山「演技以外にも、ダンスや大道芸の授業がありましたが、…特に何の役にも立ってないかな。ただ同じ志を持った100人以上の同世代の人達と競い合えるという環境は良かったです。あれに50万円の価値はあったかな。まぁ僕は10万円ずつ五回払いで払いましたけど。」

 

ーいいよ生生しい話は!


~コンビ結成について~

―では、いよいよコンビ結成のエピソードをお願いします。

 

山「結成したのは卒業してからで、在学中はそれぞれ別の相方とコンビを組んでいました。」

 

井「僕は別の山本君と『ロボットスティック』というコンビで漫才コントをやっていて、卒業後も半年ぐらい活動しました。」

 

山「僕は『ピアノピアーノ』というコンビで活動していましたが、卒業ライブに出演したあと、お互いに連絡を取らなくなって自然消滅しました。まだ正式には解散してないので、もしかしたら向こうはまだ組んでると思っているかも。」

 

―いやさすがに終わってるだろ!ていうかネーミングセンスが独特だな!二人とも!

 

山「その後、地元の友達と『ユニコーン』というコンビを組みました。」

 

―広島出身で『ユニコーン』!?どこかで聞いたことがあるような…。

 

山「同じ名前のバンドがいたのですが、もう解散しているのでそろそろ使ってもいいだろうと思って。」

 

―いや、そろそろとかねーわ!怖いもの知らずか!

 

山「そしたらこちらが結成した直後にあちらも再結成したんです。さらに初ライブが決まった途端に相方が家庭の事情で帰省することになって、一度も舞台に立つことなく解散しました。最後にうちに集まって、二人きりの部屋でネタをやりました。壁に向かって『いいかげんにしろ!やめさせてもらうわ!』って。」

 

―泣ける話ですね。井口君とはいつ再会するんですか?

 

井「同時期に『ロボットスティック』も解散して、新しい相方を探していた時に、在学中に山本君とラーメンズさんの話をしていたのを思い出して、連絡してみようと思いました。」

 

山「『ロボットスティック』の稽古中に僕が割り込んで、井口君とラーメンズさんの話で盛り上がったことがあったんです。それを別の山本君が寂しそうに見ていて。それが解散の引き金になったかも(笑)。」

 

井「(爆笑)」

 

―笑い事か!とにかくラーメンズさんの存在が二人を結びつけたんですね。そして声を掛けたのは井口君の方だったんですね。

 

山「正確に言うと声を掛けられたわけじゃないんです。一通のメールが届いたんです。『剛とコントがしたい』って。嬉しいじゃないですか。まだ文章でしか言ってもらってないので、いつか肉声で聞けるといいんですけど。」

 

―今言ってもらいましょうか。

 

井「言わない(照)。」

 

山「もうちょっと取っておきたいですね。ファイナルファンタジーでいうところのラストエリクサー的な。結局使わずに終わっちゃうんですけど。」

 

―『ファイナルファンタジーあるある』はいいんだよ!その一言でHP・MP全回復するわけねーだろ!


~コンビ名の由来について~

―さて、養成所の同期が久々に再会し、新コンビを結成することになったわけですが。コンビ名の由来について教えて下さい。

 

井「僕の中でコンビ名に①カタカナ②既存の言葉③濁音(半濁音)が含まれる④『ン』が含まれるという条件があったので、それに合う言葉として『スタンプラリー』を提案しました。

 

山「僕は『ピーチコマンダー』を提案しました。英語で桃太郎の意味なんですけど。」

 

―桃太郎!?岡山県出身でもないのに!?

 

山「かわいいしかっこいいしキャッチ―じゃないですか。ただそれを伝えた時の相方の顔が無表情だったので、お気に召してないと思って一歩引きました。」

 

―気に入らない時の彼、露骨に表情に出しますからね。で、結局『スタンプラリー』を受け入れたんですね。

 

山「最初提案された時、『え?スタンプラリー?』と戸惑いましたが、以前僕が組んでたコンビ名が『トライアスロン』だったので、変わんねーやと思いました。」

 

―センスがかつての自分と同レベルだと。

 

山「後で理由を聞いてちゃんと納得しましたけどね。」

 

―でも『ン』が付くコンビ名は縁起が良いとされてますよね。ダウンタウンさんとかウッチャンナンチャンさんとかとんねるずさんとか売れてる方がたくさんいらっしゃいますし。

 

井「もちろんそれも意識しました。」

 

山「今でこそ気に入ってるコンビ名ですが、この前一瞬だけ後悔したことがあって。尊敬する某先輩にコンビ名の由来を伝えたら、『そういう由来一番嫌い!』と言われてしまって。好きにさせろよと思いました。」

 

一同笑


~歌ネタについて~

―さて、コンビ名が決まり、いよいよスタンプラリーの本格始動ですが。初舞台は覚えていますか?

 

山「はい。初めて人前でネタをやったのは『キングオブコント2008』の予選でした。」

 

―いきなり大舞台に挑んだんですね。どんなネタだったんですか?

 

山「井口君がギターが得意だったので、歌ネタをやりました。コーラの注意事項を熱唱するというネタを。」

 

―着眼点のマニアックさはさておき、コントの大会で歌ネタとは掟破りですね。井口君はいつからギターをやっているのですか?

 

井「中学二年生からです。当時ゆずが好きだった兄に影響を受けて。兄は僕とフォークデュオを結成したかったようですが、路上で演るような環境もなく、本気でプロを目指すようなことはありませんでした。」

 

―『東京のゆず』にはならなかったんですね。でも、その時培ったものがまさか将来お笑いに活かせるとは思わなかったでしょうね。

 

井「そうですね。やっていてよかったですね。」

 

―歌ネタのレパートリーはいくつぐらい?

 

山「10曲ぐらいかな?」

 

井「コーラ以外だと、曲の構成を歌うもの、ラジオ体操、ドラゴンボール、北斗の拳、セーラームーン、ママレードボーイ、カロリーメイト、ファブリーズ、ボンド、TSUBAKI、蚊取り線香…。」

 

山「あとイカの歌ね。」

 

―もういいよ!それだけたくさんあるとCDアルバムがリリースできそうですね。

 

山「そして何といってもオリジナル曲『足跡の道』。」

 

井「あれが一番恥ずかしい。(笑)」

 

山本「在庫NOW ON SALE!(笑)」

 

―コント食堂のエンディングテーマですね。あの名曲はどういうきっかけで出来たんですか?

 

井「当時前説をさせて頂いていたライブの共演者である某先輩から『お前ら歌ネタやるんだったら、応援ソングみたいな曲を作れよ』と言われて、真面目に作りました。でもその先輩のイメージとは違ったみたいで。」

 

―きっとギャグ路線を期待されていたんでしょうね。

 

井「もっと具体的にイメージを聞くべきでした。」

 

山「で、その曲を前説で歌わせてもらったら、たまたまお客様の中に編曲家の方がいらっしゃって、終演後に『あの歌、よかったら編曲させて下さい』と言われて。最終的にCDにまでして頂きました。ちゃんとしたレコーディングスタジオのブースに入って、ヘッドホンを付けてマイクの前で歌ったんですよ。歌手がPVでやってるみたいに。」

 

井「でも思ったより編曲がキラキラしていたのには驚きましたね。毛並みが違うというか。(笑)」

 

山「井口君ずっと首傾げてたもんね。(笑)」

 

―使えない話をするんじゃないよ!その方がこのサイト見てたらどうすんだよ!


~事務所所属について~

―歌ネタという得意ジャンルを確立しつつフリーで活動を続けてきたスタンプラリーが、いよいよ念願の事務所に所属することになりました。その事務所というのが、なんと二人が養成所時代から尊敬してやまないラーメンズさんが所属するトゥインクルコーポレーション。運命的というか、ドラマチックな展開ですよね。

 

井「養成所を運営していた事務所のオーディションを受け続けていましたが思うような結果が出ず、他の事務所も見ていこうということになって、どうせなら自分達の好きなラーメンズさんと同じ事務所にしようということで、履歴書を送りました。2011年の8月だったかな?」

 

―コント食堂が始まる前の年ですね。

 

井「しばらく返事がなかったのですが、11月にあるライブの出番を待っていたら知らない番号から電話が架かってきて、出てみたら事務所の現チーフマネージャーでした。最初『トゥインクルコーポレーション』と言われてピンと来なくて、マンションの管理事務所かと思いましたが、『今度ネタ見せをやるのでよかったら参加しませんか』と言われてやっと状況を理解しました。」

 

―三か月も連絡がなかったら、忘れても仕方ないですよね。

 

井「で、ネタ見せをした後にまた連絡があって、預かりという扱いで今後の事務所ライブに出演できることになったんです。何回目かのライブに東京アヴァンギャルドが出演するようになって、2012年5月にアヴァンギャルドと同時に正式に所属となりました。ちょうど新人を募集しているタイミングだったので幸運でした。もっと試練を乗り越えたかったのですが簡単に所属できたので、僕達の中ではドラマチック感が薄いですね(苦笑)。」

 

―いえいえ、運も実力の内ですよ。憧れのラーメンズさんに初めてお会いした時のことは覚えていますか?

 

井「舞台の見学をさせて頂いたのですが、楽屋に挨拶に行ったとき、緊張して何も言えませんでしたね。観ているときはいろいろ想うことがあったはずなのに。『かっこいいなー』って。」

 

―未だに彼らに会うと緊張する?

 

井「未だにですね。とにかく言いたいんですけどね。『かっこいい!』って(笑)。」

 

―ほとんどファン目線ですね(笑)。山本君は?

 

山「とにかくとんとん拍子でしたね。最初狙っていた事務所になかなか入れなくて悩んでた時、彼女が『どこでもいいから別の事務所に履歴書を送ってみたら?』と言ってくれて。それで現事務所に履歴書に送ったんです。」

 

―彼女、つまり今の奥様が背中を押してくれたのがきっかけだったんですね。

 

井「すごくありがたかったです。」

 

山「本当は別の事務所からも声が掛かって事務所ライブへの出演が決まっていたのですが、現事務所から返事が来た途端にモチベーションが下がっちゃって。ライブでMCをやっていた某先輩に失礼な態度を取ってしまいました。タメ口をきいたり、持っている手帳をイジったり。」

 

―だから使えない話をするんじゃないよ!所属して良かったことは?

 

井「先輩後輩のルールを勉強できたことですね。フリーで活動している一年と、所属している一年では得られる経験値が全然違うんです。」

 

―確かに月に一度の事務所ライブがあったり、先輩のライブをお手伝いしたり、TVの仕事を振ってもらえたり、いろいろメリットがありますもんね。

 

井「だからもっと早く所属したかったですね。フリーの時間が無駄だったわけではないのですが。」

 

―でもこのタイミングまで待ってたからスムーズに所属できたという考え方もできますよね。

 

井「そうですね。」 

 

山「先輩のそばに居させて頂くのは気合が入りますね。ちなみに僕はラーメンズのお二人の電話番号を知ってます。メールアドレスも知ってます。」

 

―何の自慢だよ!


~コント食堂について(最終回)~

―最後にコント食堂について語って頂きましょうか。奇しくもお二人の事務所所属と同時期に始まったライブですが、初回から二年間関わってみていかがでしたか?

 

井「すごく充実していたなぁという感じです。『ごった煮コント』で色々な人とコラボしたり、他のコラボネタを観たり、とても勉強になりました。長く関わっているからというのもありますが、コント食堂は他のライブよりも一歩踏み込んだ見方ができるライブです。集まるメンバーも個性的でいい人達ばかりですよね。確実に財産になっています。」

 

―全公演に出演した山本君は?


山「コント食堂には助けられましたね。一番大きいのは集客です。食堂でネタをやるとなぜかめちゃウケるんで、食堂を観に来られたお客様が『スタンプラリーは面白い』と勘違いして、別のライブに観に来て下さるんです。」

 

―それはお二人の実力のおかげだと思いますよ。

 

山「逆に別のライブのお客様を食堂になかなか連れて来られないのが悩みですね。早く食堂に恩返しがしたいんですけど。」

 

―早く他のライブでも評価されるようになるといいですね。

 

山「はい、とにかく食堂は実力以上のものを出せる不思議なライブです。」

 

井「食堂でウケてる時の感覚を自分達に染み込ませて、他のライブでも発揮していきたいです。ウケてる時って絶対にいい表現ができているはずなので。そういう経験ができるのはありがたいです。」

 

―食堂を有意義に感じて頂いて、主催としてもありがたいです。思い出の回は?

 

井「僕は一号店です。初回だしネタを二本やったからというのもありますが、デザート(企画)の時に自分を俯瞰で見ることができたんです。『こんな風に動いたら面白いだろうな』って。

 

―あの時は確実に一人で持っていきましたもんね。ちょっと嫉妬しました(笑)。

 

井「あとはあねっくす三号館のデザートで、相方がハンドボールのシュートをやったのが楽しかったです。」

 

―あんなにアクティブな山本君は珍しかったですよね。相方の新しい一面を発見できるのも食堂の魅力?

 

井「そうですね。あねっくす四号館でやった『処刑』も、相方のアドリブに本番中、素で笑いましたから。」

 

―身動きしちゃいけない役だったのにね(笑)。

 

山「僕は二号店です。お通し(オープニング)のダンス稽古はしんどかった。」

 

―稽古中に『これが僕の求めていた青春です!』って言ってましたよね?

 

山「稽古中は脳内麻薬が出てましたからね。妥協せずにメンバーに指導を続けるししどっちさんを見て、この人には僕達には見えない頭の中の設計図があって、ちゃんとそれに向かって進んでるんだなと感心しました。芸人として以上に、プロデューサーとして尊敬しました。それをお笑いにも生かせばいいのに。」

 

―褒めるだけ褒めて最後にさりげなくダメ出しすんじゃないよ!今後食堂をどうしていきましょうか。

 

井「いい部分を残したまま続けていきたいですね。いいメンバーが集まって、たっぷり観て頂けて、その日限りのネタもあって、という。」 

 

山「僕は武道館でやりたいです。」

 

―あの、もう少し現実的な話をしてもらっていいですか?

 

山「じゃあラスベガス!」

 

―人の話を聞け!話を勝手に渡米させるんじゃないよ!

 

山「あれ、無理なんですか?」

 

―無理だよ!下北沢でさえ毎回動員にヒーヒー言ってるのに!どうやったらもっとお客様を呼べるようになるのか真剣に考えて下さい。

 

山「来場者に妖怪ウォッチをプレゼントすれば?」

 

―ターゲットとする世代が違うんだよ!子供ばかり集まっても困るだろ!

 

山「あと転売目的のおっさんが集まりますよ。」

 

―笑いが目的じゃなきゃ意味ねーだろ!

 

山「しょせん僕らなんてミニカーに付いてるラムネですからね。」

 

―どうせならミニカーの方を目指しなさいよ!コント食堂の看板スターに!

 

山「お、ありがたい言葉ですね。分かりました。引くほど売れます。」

 

井「そしたらやっと恩返しできますね。」

 

―期待しています。今日はありがとうございました。